日本の閣僚の質の問題と労働生産性の問題。
某厚生大臣が世間一般を騒がしているようです。まぁ、言わんとすることはわからなくもないのですが、一番の問題は「言語表現能力を欠如している」と言う欠陥をもって成長し、誰にも窘められることなく、日本を代表する地位についたことでしょうか。
昨今、若者に見られる言葉の乱れについて議論するのもいいでしょうが、立場或る人間の言語表現能力欠如という欠陥商品について、その欠陥を正してもらう教育が必要ではないかと思うわけです。
工場労働が時間売りというのは正確に言うと適切ではなく、「多くの工場の場合」となるわけですが、そういう問題でもないでしょう。ここをご覧になっている経済・経営について関心のある方にとってセル生産方式などは周知の事実でしょう。2万点以上或る部品を一人で組み立てて製品にする能力を持った方がいるわけですが、この方々も工場労働であるわけです。それだけの部品を組み立てる時間が良く出来る人は2時間、出来ない人は8時間としましょう。計算上面倒なので時給は2000円とします。
おわかりですね? 良くできる人は4台組み立てて16000円、出来ない人は1台なのに同額もらうことになるわけです。これは公平ではないというのは自明のことでしょう。これを是正する方法は2つあります。
一台当たりいくらにするという方法。一台8000円とするならば、良くできる人は日給36000円、出来ない人でも8000円となります。これで格差是正。
昨今問題となっているホワイトカラー・エクゼプションも個人的には全ての意味で反対するわけではありませんが、現状乱用の可能性、そしてあまりにも法案がお粗末だったからこそ、賛同しかねないという立場を持っています。
ここで、ホワイトカラー・エクゼプション的に解決してみましょう。一日に製造する台数を2台とし、日給16000円とします。良くできる人は4時間で完了、出来ない人は16時間で完了となります。これも格差是正。ここで着目したい点は、8時間余剰にかかっても残業代が出ない・・・と言うことではありません。はっきり言って、そんなのどうでも良いわけです。4時間で作業が完了した場合、「その時点で当日の業務を終了して良い」としなければ不公平だとだめ狼は主張します。労働時間撤廃で残業代がなくなるのなら、仕事が終わったら帰っても良いとなって当然ですよねってことです。
仕事が出来ない人間と仕事が出来る人間において同じ単価で働くというのは、経営的にも問題ですが、「仕事の出来る人間」からすると大きな不満となるわけです。それを是正する点に於いては非常に魅力的な内容に感じます。
確かに、労働基準法は昔に制定されたもので見直す必要があると思います。当時では想定していなかった社会環境や産業構造となっているわけですから、時代に即したものを正すべきでしょう。だめ狼は情報通信産業に従事していたわけですが、タバコを吸いません。タバコを吸わない人間には、タバコ休憩といったものはありませんが、タバコを吸う人は「ちょっと吸ってくる(・∀・)ノシ」というのがあります。「この時間はどうなるのでしょう?」という問題もあるわけです。逆に、だめ狼が「専門書買ってくる(・∀・)ノシ」と出かけてぶらぶらしながら本を買ってくることだって出来るわけです。そして「この時間はどうなるのでしょう?」という問題があるわけです。「おあいこじゃん」とならないわけです。「発生頻度と月間通算時間を計算すると?」ではどの程度公正となるのでしょうか? 仕事で使う本を仕事時間に買いに行くのは問題ではないでしょう? 休憩時間にタバコを吸うのも問題ではないでしょう? ・・・。
出来ない人間を基準とすると残業代が無くなる・・・となってしまいますが、出来る人間としては自由時間が増える魅力的な内容でもあります。
が、現在の多くの企業の企業景気回復の背景にはリストラによる人員圧縮というものがあり、人は減っても仕事量が変わらず(これがおかしい!)、結果として残業や負荷が増加しているという側面があります。このような状況で実施するのは企業主導による構造的欠陥を生む危険性が高いというのは、サラリーで日々苦労されている方には身にしみているのではないでしょうか。
さて、閣僚の質が落ちていると言うことは、国民の教育の質に問題が出ているといっても過言ではないでしょう。教育というものは、10年20年という長いスパンで取組、それが国の力となるわけです。落ちた学力を回復するためには同等の期間が必要というわけです。で、教育の質が落ちると言うことは、労働生産性、結果として国民総生産に影響が出るというのは想像に難くないでしょう。
今憂うべき問題が、とっくに現れているのに手を打っていない政府の姿勢については疑問を抱かざるを得ません。小泉改革によって日本景気は持ち直しつつありますが、日本の学力までは持ち直すことは出来ていません。当然ながら、それ以前の政策に問題があるとしても公定歩合を操作したり為替介入をする感じで学力を上げることが出来るわけがないのです。
そして、最近(ここ5年10年くらい顕著に)のマスメディアの活動についても疑問を感じるのは気のせいでしょうか? まぁ、何処ぞの大臣の発言問題などは、或る意味仕方ないと思いますが(つっこみどころ満載ですからね。下手な釣りよりもうまい)、昔より過剰反応、過剰取材、過剰報道に思えて仕方ありません。まさに、教育に悪い。自分の子どもに、今の報道番組を見せたいと思いますか?